【覚え書き】アニメと声優、ライトなファンとディープなファン

数日前からちまちま書き溜めていた取りとめもない文章をまとめてこっそりと投稿する。

こと「おそ松さん」に関する話題は「思いついたうちに書きおこしておかなければ」という衝動に身をゆだねて綴っているから、自分であとから読んで驚く程まとまりの悪いことが多い。それでも敢えて勢いに任せて書いたままの形で記録として残し、ひっそりと公開しておくことにした。

 

「おそ松さん」旧一話の動画配信が終了する前に、彼氏と二人で「見納め」をすることにした。イケメンアイドルと化した6つ子たちが「どうぞ、お好きな松を」と言いながらトト子へ向けて手を差し伸べるシーンに差し掛かったタイミングで彼に「推し松」がいるかどうかを尋ねると、少しの間を置いて「やっぱりチョロ松かな」という返答があった。やっぱりって何だ、と考えていたら「今期は『終物語』も観ているせいか神谷浩史さんの声が聞こえるとどうしてもそちらに意識を集中させてしまう」という初恋を知る3秒前の少年のような説明をされたので大変興奮した。「ちなみに私は断然一松推しで、それはなぜかと言うとね」などと訊かれてもいないのに喜々として語り始めたのを完全に無視されたのにも大変興奮した。そう、これでいいのだ。

今期放映中のテレビアニメ作品「終物語」の主人公である阿良々木暦を演じるのは、「おそ松さん」でチョロ松を演じているのと同じ神谷浩史さんだ。2015年秋、「おそ松さん」と「終物語」というアニメ作品が偶然にも同じタイミングで放映されているわけだが、そのことが彼に「松野チョロ松と阿良々木暦という、異なる作品に登場する全然似ていないキャラクター同士を『神谷浩史』という一人の俳優の演技を通じて紐付けて意識させる」効果をもたらしているのは実に興味深い現象だな、などと思いながら私は「見納め」たばかりの旧一話を再び観るために「始めから」ボタンを押したのだった。ガチョーンハラホロヒレハレ

はてな匿名ダイアリーに投稿されていた、アニメ作品の話をしたいのに「声オタ」いわゆる「声優オタク」から「声優」の話題ばかりされてうんざりしているという話を読んだ。私はこれまでいろいろなアニメ作品を観て楽しんで、ファン同士で語らう「オフ会」にも参加してきた経験があるけれど、「声優」の話題しか出てこないというようなオフ会は経験したことがない。おそらく私が猛烈にハマるようなジャンルではどちらかというとストーリーやキャラクターを重視するファンが多い傾向があったのだと思う。

私は、声優さんの声やその演技はアニメ作品を構成する要素だと考えている。テレビドラマや映画を観るときに俳優自身のことが語られることがたびたびあるけれど、これはアニメ作品にも適用できると思うのだ。声をあてることでキャラクターに魂を吹き込む声優がキャラクターや作品をどのように理解しているかという「裏話」も押さえて作品を観ると考察も深まる。

数日前に「おそ松さん」のことをブログに書いたところ、恐ろしい程にアクセス数が伸びたという話を彼氏にした。すると「そもそも『おそ松さん』ってそんな考察するようなアニメだっけ?」と実に不思議がられた。「いやいや、今の流行りは『おそ松さん』論だよ」などと返してはみたけれど、こういう疑問を持たれるのも当然かなという気がした。「おそ松さん」のすごいところは「何も考えずに観てもおもしろい」「物語やキャラクターを“深読み”してもおもしろい」「物語と物語の行間に“自分の見たい文脈”を求めてもおもしろい」という三拍子が揃っているところにあると個人的には思っている。だからこそライトなファンとディープなファンとの間のギャップが大きくなりやすいのではないか。私はそう考えている。

余談だが、「チョロ松推し」である彼に、おそ松とチョロ松のコンビが「速度松」と呼ばれていることを教えたところ、どうもツボにはまったらしい。時々それを思い出しては「誰が思いつくんだこんなの。すごいな。おもしろいな。センスあるな」などとにやにやしている。私も同感だ。よくこんなおもしろい愛称思いつくよなあ。