id:cildのブログ炎上に際して思うことを書き殴ってみる

id:cildによるこのエントリ(魚拓)が炎上した。
狙って炎上させた説と、素で書いたがゆえに炎上したという説があるがいずれにしろ内容が酷いことに変わりはない。

このエントリの問題箇所は挙げ始めるとキリがないが、その中でも非難が殺到したのがここ。

誰も近づいてこなかったとしたら、それはそれで、少し寂しい気もしますよね。誰の興味も、そして何人にも関心を持たれることのない人生─。

痴漢に遭わないというのは、世間の需要に完全にミスマッチということでもあります。

まったく需要がなく、誰からも避けられる人生。そして、しょっちゅう痴漢に遭ってしまう人生。我々にとって、どちらがより、不幸の度合いが強いのでしょう。

「痴漢加害者」の側から「痴漢被害者(女性)を評価してやる」という上から目線で書かれている文章であるということがこの部分を読むだけでも十分に理解できると思う。

私はこのid:cildのプロフィールにそこまで目を通していなかったので、てっきり互助会の仲間たちに持ち上げられた大学生ブロガーか何かが調子に乗って「面白い冗談」のつもりでひり出した糞がこのエントリなのだと思っていた。
が、よくよく見るとプロフィールに「昭和50年生まれ」などと書いてある。嘘でなければ40歳。調子に乗った大学生ブロガーじゃない。むしろ嘘であってほしいくらいだが、現実は甘くないらしい。

40歳の男性が「痴漢に遭うということは痴漢加害者の需要にマッチしている、評価されているんだ。だから幸せなことなんだよ」というようなことを(匿名ではあるが)ネット上に書きなぐっている。その事実だけで背筋が凍る。
年齢のこともあってか、ああ、こういう具合で会社や教育機関でのセクハラ、パワハラアカハラ事案などが発生するんだななどと考えたりした。悪気なくただただ純粋に問題発言を繰り返すような人がときどきいる。id:cildも恐らくその類の人物だ。

私は女で、これまで何度も痴漢被害に遭ってきた。被害届も出した経験がある。
だからこそ想像がつかないのだけど、男性として生まれ育つだけで「痴漢に遭う」という恐怖についてまったく想像がつかないものなのだろうか。「痴漢に遭う」という恐怖の代わりに「痴漢冤罪に遭う」という恐怖を抱いているということなのだろうか。いや、それにしてもまったく痴漢に遭うことの想像がつかないなんてそんなことあるんだろうか。不思議でならないのだけど。

痴漢もののAVなんかが昔から出回っているのも、それだけそういうシチュエーションに興奮を覚える人が存在するからだと思う。別に創作物(フィクション)としての痴漢を楽しんでいる人を咎めるつもりはない。ただ、そういうシチュエーションに興奮してしまう人たちのことは「一方的に相手を圧倒する」という欲望が多少なりともある人たちなのだと判断して警戒するようにはしている。