役割を与えるものと与えられるものの関係を対等に出来るかということ


「なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか」というどうにも釣り臭く思えるタイトルに反して、旧約聖書を引き合いに出して大真面目に論じてみた記事。はてなブックマークのコメントには「あまりのくだらなさに感心」とか「普通の話を無駄に飛躍させただけ」といったものもあるが、以下に引用するブックマークコメントなども含めて大変興味深い指摘であると思う。

なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか - 本しゃぶり

逆に考えると、乳を揉ませたり裸を見せたりすることで、主人公にメインヒロインに対して「責任をとる」義務を負わせているともいえる。そう、ラッキースケベは契約であり十戒なのだ。

2015/10/11 15:44

ラッキースケベは契約であり十戒」。ラッキースケベという字面のせいでなにやら馬鹿馬鹿しく思われるかもしれないが、十戒に「姦淫をしてはならないこと」「偽証してはいけないこと」が含まれることを踏まえて件の記事を読むと納得がいく。確認してみよう。

子豚にとって最も許されざる行為、石鹸枠でやってはいけないことに、浮気・NTR・非処女がある。そこらへんのモブがやる分には問題ないが、ヒロインがしては大問題となる。子豚がこれらに怒ると他の人々は「器が小さい」とか「男尊女卑だ」などと子豚を非難する。しかしここまで読んだ人ならば子豚が怒る理由もわかるだろう。上記行為は神に背く行いであるからだ。

なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか - 本しゃぶり

契約であり十戒であるラッキースケベに背く行いはすなわち神に背く行いである。元記事では主人公の立ち位置を(「神」としての作者の声を代弁していることから)「預言者」とみなしている。

なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか - 本しゃぶり

好き。“「器が小さい」とか「男尊女卑だ」などと子豚を非難する。”“神を試してはならないのだ。”に笑いつつ、ヒロインというメシアに対し男主人公が神とされ上位におかれるのが「男尊女卑」的に感じるんだろな。

2015/10/11 14:45

 よってこのコメントに於ける“ヒロインというメシアに対し男主人公が神とされ上位におかれるのが「男尊女卑」的に感じるんだろうな”という部分は、ヒロインを男主人公が預言者として王に任命する役目を果たすところを「男尊女卑」的に感じるんだろうなと訂正したほうが元記事の文脈に対して誠実であろうが、無視できない指摘だ。
要するに女性キャラクターに対して(作者に代わって)「この物語のヒロインである」という役割を与えるのが主人公の最初の務めであり、そのための行為が「石鹸を塗る(脱いでいるヒロインとの接触)」という行いであるから一部の視聴者にはある種の嫌悪感として受け止められるわけだ。しかし役割を与えるという描写を完全に対等な立場に置かれたキャラクターだけで表現することは可能なのだろうか。どうにも不可能に思えるが、もしそれが可能になれば「男尊女卑」的な印象を持たせず、自然に役割を与えられるようになるだろう。

それからここまで書いてみて気になったのは主な対象を女性としている作品における「ヒーロー」がいかにして確定されるのか、というところ。パッと思いついたのは「朝パンを咥えながら登校中、曲がり角でイケメンと鉢合わせる(あるいはぶつかる)」というシチュエーション。しかしながら世間で「ベタ」「定番」とあれほど揶揄されている割には実際の使用例は少ない(元ネタと考えられているものとして本村三四子『パティの初恋』(1968)のような作品は存在している)ようだ。
それ以外には「なんだかいけ好かないイケメンが転校してくる」というシチュエーションも考えられる。カードキャプターさくら李小狼とか。