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愛され養われるために個性を手に入れた「おそ松さん」たちの行方

アニメ キャラクター おそ松さん

テレビアニメ第一話のお蔵入り(配信停止&円盤未収録)が決定したことでも話題になった「おそ松さん」沼に片足を突っ込んでしまった。いや、もう頭までずっぽり沼の中だ。血眼になって次週の放送を待ちわびる日々が続いている。

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 さて、そんな「おそ松さん」の第5話が多くの視聴者に衝撃を与えた。その内容から「鬱回」とも「神回」とも評されている第5話に関連した、こちらのエントリが大変素晴らしかったので紹介しておきたい。

「箱庭の崩壊」を扱った、ニートを題材にしたファミリードラマ、しいては「かつて存在した赤塚王国はもう存在しないということを描くためのリメイク」 として成立しています。

 おそ松さんはそういう話です。彼らが6人でひとつだった時代は終わりました。もう同じ顔が六つ程度じゃ視聴率取れません。みんな個人として生きていくしかない。キャラが被ったら弱い方を追放するしかない。自立するしかない。五人の敵と戦うしかない。そういうことをごく率直にフルスイングで、途方もなく残酷に描いた回だったと思っています。

「おそ松さん」たち6つ子が「はっきり区別のつく、キャラクターの立った個人」として描かれるようになっていることを上手く説明している。赤塚王国が滅びたことで、弱い方を追放しながら、強いものにあやかりながら戦っていくしかなくなった。こう考えるとあのハチャメチャな第1話の内容もストンと腑に落ちる。赤塚王国は赤塚先生の死によって終焉を迎えているので、他の商業的に強い作品に「乗っかる」という安直な手段を用いて生き残りを図ったというわけだ。

 

こちらのエントリも実に良かった。

すべての深い愛を以てまなざされるキャラクターは何らかの抽出不可能なイデアを内包しており、イデアそのものあるいは惹かれあうイデアイデアの呼応に彼女の魂は反応しているのではないだろうか。このような仮説を考えてみた時、外見は同じで内するイデアだけが異なる6つ子の兄弟というコンセプトはイデアの容れ物・器として極めて優秀な概念であるように思われる。

嫁がカラ松ガールズになりました - ←ズイショ→

外見は似ていてもその中に宿す本質(イデア)がまったく異なるのが「おそ松さん」たち6つ子だと考えている。

原作である「おそ松くん」ではそっくりで区別がつかない松野家の6つ子という集団でしかなかった彼らが、「おそ松さん」では抽出不可能な個性を手に入れていることには意味がある。それは先のエントリからの引用箇所に含まれている。

すべての深い愛を以てまなざされるキャラクターは何らかの抽出不可能なイデアを内包しており

集団としての存在にすぎず、深い愛を以てまなざされるキャラクターではなかった(「松野家の6つ子」という集団でしかなかった)彼らが深い愛を与えられる存在となるべく獲得したのが「異なるイデアすなわち他の兄弟からは抽出不可能な個性である。

ここから見えてくるのは「おそ松さん」たち6つ子は「赤塚先生が死んだ(箱庭が崩壊した)あとの世界で生き残る(愛され養われる)」ために個性を武器に戦わなければならないということ。

この作品を観てなんとなく頭をよぎったのは「七人のナナ」という作品。

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ひょんなことから7人に分裂してしまった女の子・ナナがそれぞれ異なる性格(怒りっぽかったり冷静だったり色っぽかったりする)をした他の6人とともに高校合格を目指して奮闘する物語である。この作品を思い出したのは「おそ松から分裂する形で個性を手に入れることができたのが他の5人である」という気がしてきたためだ。

長男であるおそ松は「おそ松くん」から「おそ松さん」になっても外見や性格に大きな変化が生じていない。一方、カラ松以下5人の兄弟は「おそ松さん」シリーズから明確に区別が付けられるほどの特徴が付与された。

このことから考えられるのは、長男・おそ松が崩壊した箱庭の中で兄弟たちとともに愛され養われ続けるために自分の元来有していた個性を兄弟に分け与えたという可能性だ。

私の観測範囲では「推し松はおそ松です!」と主張する人は少ない。だいたいカラ松以下5人のいずれかを推している(特にカラ松、一松に人気が集中しているような気がする)。たぶんそれはキャラクターが明確に立っているからだろう。おそ松は他の兄弟と比較すると「無個性」なようにも思える。

しかしそれはおそ松から分裂する形で強烈な個性を獲得したと考えれば納得がいく。いつまでも愛され養われ続けるために「おそ松くん」は分裂したのだ。

第1話でチョロ松が「6つ子なのにバラバラなことやり始めたらもうおそ松くんじゃないよ!」と発言しているが、実はこれが鍵になっていると思う。

6つ子なのにバラバラなことやり始めたら「おそ松くん」ではなくなる。「おそ松くん」における6つ子は区別のつかない集団であるべき存在だからだ。それが赤塚先生が彼らに与えた役割だからだ。

逆に「おそ松さん」になると、兄弟はてんでバラバラの行動を取るようになる。「おそ松くん」ではなくなったからだ。赤塚先生が大分前に死んだからだ。

 

「おそ松さん」は2クール連続の放送であることが明らかになった。もうすぐ折り返しだなあ(どう収拾つける気だ……)などと考えていた矢先の発表だったので少々驚いたが、楽しみである。「おそ松さん」たちはいったいどこへ行くんだろう。

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