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松野一松の「エンターテイナー」としての性質から「一松事変」を読む

今回の記事では「おそ松さん」における松野一松の描写で、私が個人的に好きなところ・注目しているところをいくつか挙げていくことにする。もっとも、私の「推し松」でもある松野一松については今後全セリフをまとめながら、その言動について事細かに考察をしていきたいと思っているのだが、その前段階としてごく一部を取り上げてみようと試みたわけである。

松野一松は「エンターテイナー」である

第6話Aパート「お誕生日会ダジョー」において、一松がカラ松をバズーカ砲で撃つ場面がある。これはカラ松が「ここで働くってか……旗だけに」というダジャレを言った「ツッコミ」としての機能を持つ行為だと理解できる。というのもそれより以前の場面で「はた迷惑はごめんだぜ」とカラ松が発言した場面では全員がそれを無視し、完全に「スベっていた」ことがある。これを受けて松野一松は救済策(?)としてバズーカ砲で撃つことにより「爆破オチ」的に処理した、という考え方ができる。

私がこの場面をとても好きなのは彼の「エンターテイナー」としての性質がよく現れている一場面だというように捉えていること、そしてカラ松のギャグが完全にだだ滑りするのを阻止してあげているというほんの少しの優しさを垣間見ることができるからである。

松野一松が意外とノリがよく、人(兄弟)を楽しませようというエンターテイナーとしての性質を持っていることは他の回を見ても明らか。

たとえば14話Bパート「トド松のライン」。冒頭では屋根の上でポエマーと化しているカラ松を猫を使って落とすことによって文字通り「オチ」をつけさせて、さらには「羊たちの沈黙」のレクター博士をモチーフにしたと思われる「一松博士」に衣装・背景セット完備の上で扮しているという高いエンターテイナーとしての実力を見せつけた。

私は彼がここまでしておもしろいことをやろうとするのには「暇・退屈」を極度に厭う長男おそ松の影響が及んでいるところが多分にあるのではないか、と睨んでいる。

「童貞の成人男性」としてのキャラクターが持つ固定観念

第16話Bパート「一松事変」における描写で私が個人的に注目した場面がある。それが「おそ松の前で革ジャンを脱ぐ(ことによって体型の僅かな差異などからカラ松ではないことを見破られる)ことを恐れた一松が、服を脱がずにその場をやり過ごそうと試みる」というシーンだ。

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▲第16話Bパート「一松事変」より。その場をやり過ごすために嘘を重ねていく一松が、カラ松の格好をしたままおそ松に告白をしてしまうという場面。(参考画像はテレビアニメ「おそ松さん」Ⓒ赤塚不二夫/「おそ松さん」製作委員会より)→公式サイトはこちらから

「一松事変」のこの場面から、一松のジェンダー観が読み取れる。すなわち男性の同性愛者(ゲイ)に対してどのようなイメージを抱いているかということがわかるのである。極端な内股になりながら、頬を赤らめ、両手を胸の前できゅっと握ったこのポーズはこれでもかというほどステレオタイプで塗り固められた「女々しさ」そのもの。これは一般に「オネエ系」という言葉で総称されるような男性をイメージした行動であろう(もっとも私は「オネエ系」という表現を好まないのだが、これといってほかによい表現も浮かばなかったのでここではそのように表記している)。一松は男性へ恋愛の情を抱く男性に対してこれでもかというほど女性的なイメージを重ねているということがこの場面からわかるのである。

「一松事変」を視聴した人からは「腐女子に媚びている」という声も上がっていたようだが(当時のTwitterのタイムラインを参照した)、私としてはそうは思わない。もしこの表現に対して異議を唱えるのであれば男性の同性愛者をオネエ系として安直に描きすぎな点を指摘する方が先ではないか、と個人的には思うのである。

女性である私が知った素振りで書くのもどうかと思うが、男性の同性愛者の人々にも当然ながらいろいろな人がいる。LGBTの参加する集会にも何度か参加したことがあるが、男性同性愛者の中ではむしろマチズモ的思想の方がよく採用されているような印象さえ受けた。もちろんこれは私の観測範囲内の話であるから、すべての男性同性愛者にこれを当てはめるものではない。ただ、男性の同性愛者をオネエ系と安直に結びつけることに対して違和感を持つのはこういう事情を幾度となく見てきたという自身の経験からである、ということを示すために例として挙げた。

そして、もっといえばこういう「男性同性愛者=オネエ系」のような認識をしている松野一松というキャラクターの属性が「童貞の成人男性」として設定されているということに注意しておきたい。

この「一松事変」という作品に対する批判としては「腐女子側の目線に寄りすぎ」という内容のものが目立っていたが、私としては「童貞の成人男性」という6つ子たちの属性に極めて近い境遇にある人々が、ステレオタイプそのままに描かれる「童貞の成人男性」の描写に対して違和感を表明するというムーブメントは生じないのか、ということばかりが気になった。

一松のこの「男性同性愛者=オネエ系」という安直すぎる固定観念の他にも、これまで「童貞の成人男性」であるキャラクターたちが持つ固定観念を「おちょくる」内容の描写がいくつも登場した。DVD、Blu-ray第1松に収録された3.5話Bパート「童貞なヒーロー」ではそもそも童貞であることそのものをネタにするというような物語が展開された(ちなみにこの「童貞なヒーロー」において、松野一松はなんやかんやあったのちに「童貞ゴッド」へと進化してしまう。兄弟の中でもっとも「こじらせている」ように描かれがちなのが一松なのである)。

これに関する批判、つまり男性の性をネタとして消費する内容であり不適切であるというような指摘を見かけていない。もっと頻繁に見る機会があってもおかしくないと思うのだが。

ちなみにこのシーンでは、男性ファッション誌を参考にした「男らしいファッション」を追求するカラ松の服を身につけた上で極端なほど女々しいポーズをとってその場をやり過ごそうとしている、そのギャップを「笑い」に変換しようと試みた場面ではないかと私は理解している。

そのためここまでこのような内容で書いてはいるものの、男性同性愛者そのものをギャグにした内容ではない(服装とポーズのギャップに面白さを見出そうとした試みである)という理解をしているということを示しておく。

 一松はカラ松を捨てて保身に走ったといえるのか?

「一松事変」において、互いの服を着替えようとした一松とカラ松が半裸の姿で倒れている様子をおそ松が目撃してしまうという場面がある。二人がただならぬ関係にあるように誤解されかねない状況に慌てたカラ松はおそ松に弁明を試みるが、一松が「やめてよカラ松兄さん」と発言したことでおそ松はピシャリと襖を閉めてしまう。

この描写を「自分を助けてくれたカラ松を見捨てて保身に走った」と捉え、一松に対して「ひどい」と激怒する主旨のツイートをいくつも読んだ。しかしながら私としてはそうではなかったのではないか、と考えている。一松には別の意図があったのだと推測したためだ。

これまで述べたように一松は「エンターテイナー」として笑いを追求するような節がある。そしてその彼は男性の同性愛者に対して「オネエ系」のイメージを重ね合わせている。そしてそういう人たちがしばしばテレビ番組等でそれを「ネタ」にする姿をしばしば見ることができる。私としてはこういう認識はあまり好ましいものではないと思うが、一松の中で「この方向で展開すれば『おいしい』」という咄嗟の判断が働いていた可能性は完全に否定できるものではないと考えている。たとえばニコニコ動画Twitterでは腐女子が厭われる一方で「ホモネタ」をおもしろおかしいものとして取り扱う男性たちの姿も散見される。もちろん、場をやりすごすために彼が保身に走ることも決して少なくない。ただそれだけを彼のすべての言動に対して当てはめて考えるのは浅薄ではないか、というのが私の考えだ。

つまり、一松はこの場をやり過ごしつつ(ギャグ的に)「おいしい」展開に運ぶために敢えて「やめてよカラ松兄さん」という発言をしたのではないか、と想像することができるのである。もっともこれは私が彼に対して並々ならぬ好意を持っていることに由来する解釈であるから、反感を抱く人もいるかと思う。ただ保身のためだけではない可能性もある、ということを指摘したいがために書いたので物語読解の一つの(個人が導き出した)アンサーだということで読み流していただければと思う。

 

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カラ松と一松はどこか似ている

「一松事変」についてまだ書きたいことがたくさんあるのだが、今回はすこし「箸休め」的に一松・カラ松について過去の話から簡単にその類似点について整理し、まとめる記事を更新することにした。これまでの記事でも触れたことを再び取り上げているので内容には重複している箇所もみられるが、ご了承頂きたい。

カラ松と一松を観察して~2話・8話の描写から~

「カラ松と一松の二人が(6つ子の中でも)どこか似ている」ということについては、私の思い込みでも妄想でも願望でもなく、実際にアニメ本編の中でたびたびそのような描写を見ることができる。これまでのブログでも指摘はしていたが、今回は参考画像を引用することでもって再び確認をしておきたいと思う。引用しているのはテレビアニメ2話・8話の一場面だ。

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▲第2話Aパート「就職しよう」より。カラ松・一松はこの場面ではビールを飲んでいない。(参考画像はテレビアニメ「おそ松さん」Ⓒ赤塚不二夫/「おそ松さん」製作委員会より)→公式サイトはこちらから

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▲第8話Bパート「トト子の夢」より。交差させた手に注目するとカラ松と一松の二人は他の4人とは上にする腕が逆になっている。(参考画像はテレビアニメ「おそ松さん」Ⓒ赤塚不二夫/「おそ松さん」製作委員会より)→公式サイトはこちらから

手のクロスのさせ方については作画ミスの可能性も考えられなくはないが、2話の飲み物についてはある程度意図的に描き分けを行ったのではないかと私は考えている。というのも7話Aパート「トド松と5人の悪魔」ではジョッキに入った飲み物しか描かれていないからだ。2話での居酒屋の場面では「俺は信じてるぜ」と兄弟でただひとり一松への期待を述べたカラ松が一松から掴みかかられる様子を描くことで一松がカラ松に対して言葉をほとんど用いない、暴力的にも思える方法でのコミュニケーションを図る役どころであることが示される。その場面で、兄弟でこの二人だけが別のサイズに入った飲み物を飲んでいるという状況は無視できない要素であると思われるのだ。

作画ミスの可能性も考えられなくはないとした8話の描写も、私としては意図的な「細工」だろうとみている。というのも同じ8話で放送されたAパート「なごみのおそ松」において、兄弟の中でカラ松・一松の二人だけが聖澤庄之助に命を奪われているからだ。カラ松は「なごみのおそ松」の物語の舞台となる屋敷の主人であるため、物語の起点として殺害されるのは残念ながら必然的だといえよう。しかし、一松はただただ怪しげなオーラを放っていただけで、あとは殺害されていた姿がダイジェストのように一瞬だけ流れるだけである。兄弟の中でこの二人だけが前半部分で殺され、後半部分ではこの二人だけが同じ動きをとってみせる。私にはこれが意図的に共通点を持たせようとしているように思えてならなかったのだ。

「おそ松さん」ではたびたび6つ子から離れた設定での物語が展開されるが、このような物語もまたそれぞれのキャラクターの理解を深めるのに活かすことのできる要素だと私は考えている。

たとえば「なごみのおそ松」と15話Aパート「面接」では、兄弟に振り分けられた役どころに類似がみられる。カラ松は屋敷の主人と社長、つまり富を持つ者として描かれているし、一松はどちらの物語でも最後まで何者なのかよくわからないまま退場してしまう。またトド松は常に誰かを補佐するような立場、おそ松・チョロ松はある程度気心の知れた同業者・同僚として描かれていた。今後も何度か6つ子から離れた設定での物語が展開されるだろうと思う。こうした物語にも着目する視点を持って考察をしていきたい。

逆ナンされ待ちのカラ松

一緒におそ松さんを視聴している彼氏と居酒屋でお酒を飲み交わしながら話していたことなので考察というよりはファンとしての感想・解釈としての色の方が強くなるのだが、興味深い指摘だったので今後のために一度まとめておこうと思う。

彼氏曰く、カラ松が「逆ナンされるのを待つ」という態度をとるところから一松との類似性を指摘できないかということだった。つまり、「自分からは人と距離を縮めようとしない」一面が現れている点だとみなせるのではないか、と。

カラ松はカラ松ガール(仮)が自分を「尾崎(豊)みたい」と評価し、声をかけてくれるのを夢想し、ただひたすらに待ち続ける。自分に自信があるナルシストの面を持つ一方で、その自分が話しかけた結果として拒絶されることを恐れている、ゆえに話しかけられるのを待つという態度しかとれないのではないか。そしてその意味では「怖いんだよな、人と距離を縮めるのが」と内心で考えている(5話Bパート「エスパーニャンコ」より)一松と似ているのではないか。

カラ松は15話のフラワーに対しても住所を教えて来訪を待つ、という態度をとった。花の精が人の形をなして自分のもとに自ら来訪できるように住所を語りかける。これはカラ松ではないととることのない行動だったのではないか。他の兄弟だと花が人の形をなすまで足繁く通いそうな気がする。

 

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【おそ松さん16話】「一松事変」をどう「読む」か

「おそ松さん」16話を観た。Aパートについても言及したいところがいくつか見受けられたが、まずは内容に衝撃を受けて完徹する人も散見されたBパート「一松事変」の内容から、私がどのような文脈を読み取ったかについて記述することにする。

この記事には16話「一松事変」の内容のネタバレが含まれるため、未視聴の方は注意されたし。

※なお、今回の考察では一松・カラ松に重点を置いた内容になっているためおそ松について細かな言及はしていない。この話からおそ松についてもそのキャラクター・役割・機能について考察できる部分が多々あると考えられるが、今回はあえて焦点を絞ることにした。

 

拒絶する一松と受容するカラ松の対比

「一松事変」では、これまでたびたび描写されていた一松とカラ松の類似に加えて、はっきりとした相違も同時に描かれていた。それが「拒絶」と「受容」の姿勢である。

一松は突然帰宅したおそ松の前で「カラ松の服を一度着てみたかっただけ」とは素直に言えないまま、とにかくこの場をやりすごそうと嘘を重ね続ける。その結果として「親友」である猫を傷つけてしまう。窮地に陥りながらも「強気」の姿勢を見せるのは、とにかくその状況を受け入れがたいという「拒絶」からである。また、カラ松が自分の真似をしてその場をやりすごそうとしてくれていることに対してもその優しさ・配慮に対して激しい困惑をみせ、心の中で「逆にしね」と考えている描写を入れることで彼の気持ちが反転していく様子が表現されている。

一方のカラ松は、目覚めたあと困惑しながらも目の前にいるのが(パーカーを見るより前に)一松であることを見抜き、その上で「俺が一松の真似をしてこの場をやりすごす」という選択をした。カラ松がひとまずその場の状況を全面的に受け入れてしまう傾向についてはこれまでの記事でもたびたび指摘してきたが、これもまたその傾向が現れている場面だと考えることができる。

一松が「拒絶」のポーズをとることについてもこれまでの話から指摘することができる。特にはっきり出ているのが9話のデリバリーコント「本当は気まずい鶴の恩返し」だ。一松はこのデリバリーコントにおいて恩返しにやってきた鶴を追い返してしまう。恩を返しにきた鶴を追い返すのは優しさに対する拒絶と読むことができるだろう。9話の「恋する十四松」とこのデリバリーコントを繋げる読み方も可能であるが、ここでは一松は「優しさ・配慮に困惑すると拒絶する」という行動をとることが示されているのが9話のデリバリーコントだ、という読み方をしている。

ここで一松とカラ松の対比を見せるのは「一松事変」というサブタイトルをこの話につけたこととも関わりがあるように思われる。5話Aパート「カラ松事変」を想起させるサブタイトルをつけることによって、カラ松と一松を比較するということを示しているのだ。

カラ松の演技にみる“ズレた”優しさ

カラ松の服を着てカラ松の振りをしてその場をやり過ごそうとしている一松を見かねて、カラ松もまた一松の振りをする、という場面がある。

ショートギャグ集の形式となっている3話「O・S・O(※DVD・Blu-ray表記準拠)」において、カラ松が過去に(兄弟の中で唯一)演劇部に所属していたことがわかる描写がある。3話の内容をどこまで考察に反映させるかについては意見が分かれるところではあるが、私としては「過去に演劇部であった」という設定を一時的にでも付与されたのがカラ松であるというところに何らかの意味を見出したいという考えである。

しかし、過去に演劇部に所属していた割には一松の振りが「下手すぎ」ではないかという指摘がされているようだ。私としてはカラ松があのような演技をするのは、彼の性格上致し方のないことであろうと理解していた。

2話Aパート「就職しよう」において、カラ松以外の兄弟が一松の社会性のなさについて「上司とか殺しそう」といった言葉を用いて語る場面がある。その際、カラ松だけが唯一「俺は信じてるぜ」と発言し、一松から無言で掴みかかられる。前の文脈から考えると、ここでのカラ松の発言は「俺は一松が社会に適合できると信じてるぜ」という、ある種の期待を表明しているような内容だと捉えるのが適当と思われる。

そのカラ松が、一松が日頃表に見せているような闇要素を強調したような演技をするだろうか?上司を殺しそうだとは俺は思わない、お前はちゃんと社会にも適合できるって信じてるぜ、と表明した男が「社会に適合できなさそう」だと人に認識させている一松の言動を真似しようとするだろうか?

「俺は信じてるぜ」と言ったばかりに、カラ松には「一松らしく見せる演技」が出来ないのだ。信じていると言った自分が一松のネガティブな側面を真似することで「裏切り」になるのではないかと危惧し、その結果としてそれ以外の「一松らしい要素」つまり猫との関わりの方を選択して演技することを咄嗟に判断したのではないか。

これはカラ松の優しさを強調する描写でもある。その一方で「おそ松をやり過ごす」という目的を達成する必要のある場面での行動としては不適切だともいえる。一松への思いやりとして「真似をしてやりすごす」という判断を咄嗟にして行動したのは間違いではなかったのだろうが、それに加えて「過去の自分の発言と照らし合わせて一松らしい一松の演技をするのは彼に対する裏切りではないか」という配慮をしたのはズレている。

カラ松は優しい男だ。しかしその優しさはどこか焦点が合っていない。そんなカラ松の性格が浮き彫りになっているいい描写だと私は考えている。

一松の“本音”の変遷をたどる

「一松事変」では一松の“心の声(叫びといってもいい)”が物語をより面白くしている。この心の声だが、エスパーニャンコに本音を暴かれたときと比較してやたらと饒舌すぎるように思われる。つまり、エスパーニャンコに本音を暴かれたときと比較して一松の考え方が変化しているという可能性を考えることが出来るのではないか。

まず5話B「エスパーニャンコ」での一松・エスパーニャンコ(本音)の台詞を引用する。

一松「友達?仲間?には一生いらない」
エスパーニャンコ(以下本音と記載)「ホントはそんなこと思ってないけど」

(中略)

一松「なんでそんな面倒なものわざわざ作らなきゃいけないの」
本音「なんでには友達が出来ないの」
一松「まあ、そんな価値ある奴はいないけど」
本音「まあ、そんな価値自分にあるとは思えないけど」
一松「無駄なんだよな、人と距離を縮めるのが」
本音「怖いんだよな、人と距離を縮めるのが」
一松「労力がもったいない」
本音「自分に自信がない」
一松「平気で裏切ったりするし、アイツら」
本音「期待を裏切っちゃうかも、自分が」
一松「つーか猫が友達とかありえないでしょ」
本音「つーか猫が友達だと楽でしょ」
一松「言葉通じないし」
本音「だから傷付かないし」
一松「ああ馬鹿らしい」
本音「ああ寂しい」
一松「友達なんかマジいらねえ」
本音「友達なんかマジいらねえ。だってにはみんながいるから」

 

(テレビアニメ「おそ松さん」5話Bパート「エスパーニャンコ」より引用)

 「もこの馬鹿みたいに正直に言えたらなァ!!そしたら親友の信頼も失わずに済んだのになァ!!」「今ここで正直に言えるくらいならもうとっくに言ってる!!友達もできている!!」というのが16話で確認できる一松の「本音」と思しき箇所だ。正直に話すことができれば友達もできる、とい一松が認識していることを読み取れるため重要なシーンである。友達になるためには正直にものごとを話す必要があると認識している一松だが、その一方で正直になることで友達を作ることを恐れている。猫には自分の感情を素直に吐露する必要がないのでこれまでうまく関係を築くことができていたが、その場をやり過ごすための嘘によって猫からの信用を損ねてしまうことで一松の心は激しく揺れる。

ここで注目すべきなのは一松が5話でエスパーニャンコによって暴かれている本音と一松事変における心の声とが「自問自答」の関係になっていることである。つまり「どうして僕には出来ないの」という問いかけに対して「今ここで正直に言えるくらいならもうとっくに言ってる!!友達もできている!!」と自ら応答している、ということだ。ここから5話から16話に至るまでの期間に友達が出来ない(作らない)理由に対して一松が向き合ったという変化を示しているという可能性を導ける。

さらに着目しておきたいのは本音と建前の間で揺れる描写の中で、一人称がたびたび「俺」と「僕」で変動している点だ。この点については他の回とも比較しながらよく確認し、別の機会でまた詳しく考察を述べることができればと考えている。

憧れの「アーティスト」をめぐって

カラ松はたびたび尾崎豊への憧れを口にし、屋根の上でギターを弾き語る。

6つ子の中でアーティストに憧れている描写があるのはカラ松だけではない。カラ松ほどはっきりとした描かれ方はしていないが、一松もまたアーティストへの憧れを持っているような描写がある。

4話Bパート「トト子なのだ」では、一松がヴィジュアル系バンドを彷彿とさせる服装をして登場する。トト子から家に招待されたという状況、そして他の兄弟のはしゃいでいる様子から彼もまた浮かれてあのような服装で来訪したと考えるのが自然である。そうすると彼にとって特別な場所に招待されたとき、格好よくキメるときの服装はああいうものなのだ。

また5話Aパート「カラ松事変」では「ヤバイヤバイヤバヤバーイ」と口ずさみながら踊る一松の姿を見ることができる。ここで一松が口ずさんでいる歌の元ネタをGLAYの「百花繚乱」だと指摘している人もいたようだ(出自不明につき情報求む)。

一松のこのような言動からアーティストへの憧れがあることを伺い知ることができる。またアーティストへの憧れからそれを模倣したりする意味でカラ松と一松はやはり似ていると言えるのではないか。また、一松が憧れのアーティストを模倣するということを4話で示したことによって、カラ松(の服装)への憧れがまず最初にあって、そこから真似をしてみたいという思いが生じていた可能性を読み取ることができる。

このことは「カラ松の服装の痛々しさを指摘する」場所としての機能も持っている釣り堀の場面(2話、10話)にこれまで一松が一切関与しなかったことからも指摘することができる。つまり一松はカラ松の服装を痛々しいとは思っていない、批判する立場にはいない存在であったのだ。

 

今回の記事では「一松事変」の一部の描写に着目することで考えられる点について述べた。あくまでも一部しか取り上げることができていないために考察には不十分な点もみられる。今後それを補いながら考察を深めていきたいと考えている。

また、この記事を読んだ感想・意見等を気軽にコメントしていただければ嬉しく思う。コメント欄に寄せていただいたコメントについてはその内容に関わらずすべてに目を通している(またコメントの削除も原則として行わない方針である)が返信は行っていない。そのため、返信が必要な内容である場合はAsk.fmから投稿していただければと考えている。

 

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松野カラ松に理不尽な要求を繰り返すフラワーの正体を探る

「おそ松さん」16話のサブタイトルが「一松事変」であるというネタバレがあってからというもの、約一週間遅れでの視聴(「おそ松さん」の放映が行われていない地域に住んでいるためニコニコ動画での無料配信を待っていた)に耐え切れなくなり、ついにdTVの見放題サービスを契約するに至った。これまで日曜日深夜まで待っていたものを水曜日まで待てば良くなったのでかなり快適。もっと早く契約すればよかったと後悔するほどに快適。

というわけで今回の記事でさっそく「おそ松さん」15話「チビ太の花のいのち」のネタバレを含む内容を以下に記述しているので未視聴の方は注意されたし。

なお今回は他の方の考察の参考にもなればということで、気づいたことについて簡潔にまとめる記事内容としているが、この件については今後の展開も見ながら、ここに記述したことをより深めていく形で考察をしていこうとは考えている。

 

15話「チビ太の花のいのち」では、チビ太と花の精の純愛の裏で謎のフラワーに振り回されるカラ松の様子が描かれている。カラ松を振り回す謎のフラワーは一体何なのか。

カラ松がフラワーに与えた「液体」は何か

その本題に入る前に、まずカラ松が謎のフラワーに「液体」をかけるシーンを確認しておきたい。

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▲松野カラ松が謎のフラワーに「液体」をかける一場面(参考画像はテレビアニメ「おそ松さん」Ⓒ赤塚不二夫/「おそ松さん」製作委員会より)→公式サイトはこちらから

このシーン。手に持っている「液体」なのだが、15話を一緒に視聴していた彼氏にはどうも心当たりがあったようで、視聴後ものの数分で「これじゃない?」と画像検索結果を突きつけてきた。それがこれ。

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彼氏曰く瓶の形状、ラベルが2箇所についている点で類似しているのではないかとのこと。確かに似ている。ちなみにこれはブランデー。

ブランデーについて、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典には「16世紀なかば頃から造られ、フランスでは『生命の泉』と呼んでいる」という記述をみることができる。このことから、この場面においてブランデーと思われる液体をカラ松がフラワーに注いでいるのには「フラワーに命を与える」という意味が込められているのではないかと考えられる。中二病をこじらせた言動をとるカラ松はこのことを知った上で、フラワーに命を与えようとブランデーを選んで注いだのではないか。つまり水ではない液体を注いだためにカラ松が理不尽な扱いを受けているのではなく、元々の花そのものにあのような特徴があったと考えるのが自然ではないだろうか。

カラ松に理不尽な要求を繰り返すフラワーの正体は何か

では、カラ松に理不尽な要求を繰り返すフラワーの正体は一体何なのか。

やはり私の彼氏がこの点についても非常に興味深い指摘をしてくれた。彼によればこれはある洋画作品がモチーフになっているのではないか、ということだった。

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 この「リトルショップ・オブ・ホラーズ」である。元々は1960年に公開されたロジャー・コーマン監督のB級ホラー映画。この映画からミュージカル作品が派生し、さらにそのミュージカル作品を元にして上に紹介している映画が製作された。

私はまだこの映画を視聴していないのだが、あらすじを読んだところによると主人公が「人を食べる花」から「飯を食わせろ」とひたすら要求され続け、要求されるままに人を食べさせて大きく育てるという内容であるらしい。

15話におけるカラ松とフラワーの関係と、これは一致しているように思えてならない。それだけでなく、大きく育ったフラワーの姿はこの作品の人食い花(オードリー・ジュニア)とどこか似ているように思われる……。

この「人食い花」がカラ松の元にやってきたフラワーなのではないか。

ちなみに彼氏曰く、元はB級ホラー映画だが1986年に製作された映画はミュージカル調になっているのであまり恐怖を感じさせない内容となっていたはずだ、とのこと。私はスプラッタ映画がとてつもなく苦手なのでB級ホラーと聞いて身構えたが、そんなに怖くないという彼の言葉を信じて後日一緒にこの映画を観ることに決めた。

 

というわけでカラ松とフラワーの関係を考えるヒントとなる要素について、ごく簡潔にではあるが2つのものを取り上げた。この記事が皆様の考察の一助となれば幸いである。私も映画を実際に鑑賞するなどして、考察をより深めたいと考えている。

 

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松野一松の口から蝶、松野トド松の口から金魚が出ていく描写について【おそ松さんOP映像】

前クールのOPでも似たようなタイトルで記事を書いた。↓

前クールOPでは松野一松の口からハトが出て、松野カラ松の耳から魚が出る描写があった。その描写を「深読み」して読み取った内容について記述したのが上の記事だ。

この記事を執筆したのち、Twitterで交流している複数のフォロワー様から「カラ松の耳から飛び出した魚がトド松の頭に入っているように見える」という指摘を受けていた。よく映像を確認すると確かにトド松の頭の中に魚が入っていたので、これはまた別の機会に考察してみようと考えていたのだが、私生活が(卒業論文により)バタバタしているうちにそのことについて記事を書くことをすっかり忘れてしまっていた。

そんな折、先日2クール目に突入した「おそ松さん」の新しいOP映像を見て驚いた。

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▲左下「松野トド松」が口から金魚を、その右上「松野一松」が口から蝶を吐き出している。(参考画像はテレビアニメ「おそ松さん」Ⓒ赤塚不二夫/「おそ松さん」製作委員会より)→公式サイトはこちらから

前クールOP映像において、カラ松の耳から出た魚を頭の中に取り込んでいたトド松の口から金魚が飛び出しているのだ。このことについて「深読み」であるという自覚は持ちつつも、やはりそこに何らかの意味を見出さずにはいられなかったので、今回も簡潔にではあるがこの描写について私が考えたことについてまとめておくことにする。

松野トド松の口から出ていく金魚とは何か

「ハト」と「魚」には「群れ」で行動するという特徴があることから、「ハト」「魚」が体内から体外へ出ていくという描写が「群れを出て行く」という比喩ではないかという考え方もできる。
松野一松の口からハト、松野カラ松の耳から魚が出ていく描写について【おそ松さんOP映像】より)

前回のOP考察記事において、私はこのようなことを書き残している。しかし、前回カラ松の耳から飛び出した魚と、今回トド松の口から飛び出している金魚とではそれぞれが有するモチーフの意味に差異が生じているものと考えられる。というのも金魚は室内で飼育する観賞用の生き物として捉えるのが一般的で、「『群れ』で行動する」という意味を与えるのに適しているとはいえないからだ。

つまり「魚」というモチーフそのものはカラ松から引き継いでいるとはいえ、そこに与えられている意味には違いがあると考えるべきであろう。

金魚は金魚鉢や水槽で飼育される生き物としてイメージされるのが常である。金魚鉢や水槽の中で育てられている金魚は、その外側の世界へ自分から出て行くことはできない

「おそ松さん」3話(「パチンコ警察」)7話Aパート(「トド松と5人の悪魔」)をみると、松野トド松が5人の兄たちによる束縛からは逃れることができない存在であるということは繰り返し描かれていたことがわかる。つまり、水槽という小さな世界の中にしか留まることのできない金魚と、6つ子という兄弟関係の中から抜け出すことのできないトド松には類似性があるのではないかと指摘できるのである。

金魚鉢、水槽の外に出されてしまうと生きてはいけない金魚を吐き出すという行為からは、トド松がこれまでと同様に兄弟関係の外へ出ようとする外向性を示すということだけでなく、兄弟関係の外の世界では生きていけないということを読み取ることができるように思われるのである。

また、前クールではカラ松の耳から魚が飛び出し、これがトド松の頭の中に入っているわけだがそのことについて考える前に前回の記事で私がどのように魚を理解しようとしていたか振り返る必要がある。

耳から出る魚はどう理解すればよいだろうか。「耳から入る」ということはつまり「聞く」ということであるから、その逆は「聞き逃す」ことだ。つまり耳から飛び出す魚は「何らかの聞き逃したこと」を意味しているものとみていいだろう。こうして考えるとそれぞれの身体から出て行く「ハト」「魚」はそれぞれ「一松が言ったこと」「カラ松が聞き逃したこと」に置き換えられる。
松野一松の口からハト、松野カラ松の耳から魚が出ていく描写について【おそ松さんOP映像】より)

この考えに従うと、トド松の口から吐き出された金魚も「トド松が言ったこと」に置き換えられるわけだが、それがカラ松の耳から出ていったように「魚」の一種であることに注目しておきたい。

松野カラ松、松野トド松、魚。この3つの要素が絡んでいる場面が「おそ松さん」本編の中に存在している。釣り堀での会話のシーンだ。2話、10話冒頭に挿入されている釣り堀でのシーンに、カラ松・トド松はいずれも登場している。おそ松は10話のみ、チョロ松・十四松は2話のみ登場し、一松に至っては釣り堀のシーンに登場すらしていない(※2016年1月11日現在)。

この釣り堀のシーンは「カラ松の言動が痛い」ということがことさらに強調されていることに特徴がある。トド松はそのカラ松に対してツッコミを入れる、という役回りだ。

カラ松はトド松から向けられる「痛い」という言葉の意味を正しく理解していない。その意味でこれを「聞き逃したこと」と捉えるのであれば、トド松による「痛い」という言葉が「言ったこと」に該当するのではないか。そしてトド松が「痛い」とカラ松に言葉を手向けるのは「自分と(痛々しい言動をとる)カラ松が兄弟であることが恥ずかしい」からで、要は「自分と距離を置くか、その言動をどうにかするかしてくれ」ということを言っていたものとみなしていいように思う。

トド松が兄弟たちと自分との距離を置く(関係を切り離す)ために吐き出した言葉がOP映像の金魚にあたるものなのだ。

しかしながらその一方で、兄弟たちとの関係を断ち切ることはできないというトド松の特性も金魚は示している。というのも前クールでカラ松が「聞き逃した」ことに該当する一松の本音、すなわち「友達なんかマジ要らねえ。だって僕にはみんながいるから」という兄弟への依存を示す言葉がトド松の頭の中に入り込んでいることが前クールOP映像ですでに暗示されているためだ。これが膨らみ、金魚の形をなして吐き出されていることに着目したい。

このことから自分と兄弟との関係を切り離したいという気持ちを持ちながらも、実際には依存心からその関係を断ち切れないというトド松の姿が浮き彫りになる。カラ松とは違って水槽の中から出ることはできない、その外で生きていくことができない金魚という魚を体内から取り出すという様子にはこのような意味が付与されているのではないか。

また、金魚といえば夏祭りでお馴染みの「金魚すくい」がある。屋台で売り物にされる(搾取される)立場であるという意味も金魚には含まれているかも知れない。搾取されるトド松についても3話、7話で描かれているからだ。今後もまたトド松が兄たちから搾取されるという場面が描かれる可能性は十分に考えられる。

<余談>釣り堀のシーンに松野一松が登場していない理由

人との関わり方に関しても、カラ松と一松は「虚勢を張る」という共通点が見て取れます。そして二人ともそういう態度をある程度意図的にとっています(カラ松のほうがやや無意識でやっているところは多いように見受けられますが)。(中略)兄弟の中では比較的「弱い人間である」ということ、そしてそれを隠すために「虚勢を張っている」というところがこの二人のよく似ているところではないかという考えを持つに至りました。
なぜ松野カラ松は松野一松との会話を避けるのか - お粗末さまでしたより)

過去に公開した記事において、私はこのような個人的解釈(カラ松と一松が兄弟の中でも比較的「弱い人間である」ということ、そしてそのために「虚勢を張る」ことが共通しているように思われるということ)について記述した。

一口に「虚勢を張る」といっても、カラ松の場合には「痛々しい言動をとる」という行為、一松の場合には「本心とは異なる強い言葉を吐き捨てる(※5話Bパート「エスパーニャンコ」より)」という行為が該当するといった違いがある。しかしながら兄弟に対してもこうした態度をとるというところでは類似性が見て取れる。

5話Bパート「エスパーニャンコ」の話の中で、一松はカラ松を除く兄弟の前で自身の本当の気持ちを暴かれてしまいます。兄弟の前で本音を暴かれた際の動揺した様子を見る限り、「兄弟にさえ隠しておきたかった」本音であることは間違いありません。そして、その場に「自分とそっくり」なカラ松はいなかったのです。一松にとって、カラ松はいくら自分と似ているといったところで「痛い」の意味もよくわかっていないような鈍い男、自分の本心が気取られることはないと思っていたところは多少なりともあっただろうと考えます。でも、あの場にカラ松がいたなら話は別です。自分とよく似た存在であるカラ松に最大の弱点を曝け出すことになります。
なぜ松野カラ松は松野一松との会話を避けるのか より)

あの場にカラ松を立ち会わせなかったのは、一松がこれ以上ないほどの苦痛を味わうのを避けるための「救済措置」的に(結果的には)機能していたという可能性を私は考えている。

「釣り堀」に一松がいないのは、カラ松に対して彼の「痛々しい言動」を(改めるように言うことも含め)指摘することにより、自分の本心が気取られることを一松が恐れているためではないか。「痛い」の意味を理解すれば、そのような態度をとってしまっていることについて今度は頭を悩ますだろう。そのことを警戒しているからこそあの場には赴かないのではないか。

「まともに人と会話できない」という評価を下している十四松に対する態度や、何を考えているか理解することができない猫に対する態度をみても、松野一松が「会話での意思疎通が(比較的)困難」な相手に対しては(安心しきっているためか)温和な態度をとるということは指摘できる。

このことから一松がカラ松に対して見せる異様なまでの攻撃性は、カラ松が一松の本音に容易にアクセスできる可能性を有する(と一松が考えている)ために生じているものと私はみている。

そのため一松は「釣り堀」という、カラ松の痛々しい言動を指摘する場にわざわざ赴いたりはしない。もっとも、今後の展開で足を運ぶことがある可能性も考えられるため、注目しておきたいところである。

 松野一松の口から出ていく蝶とは何か

それでは主題をOP映像の考察へと戻そう。

前クールOPでも白いハトを口から吐き出していた松野一松。今クールOPでは蝶を吐き出している。

青虫からサナギとなり、そしてちょうへと変身を遂げますので、蝶は変身を象徴します。 このため、蝶の夢は、人生の変身や転機を暗示した夢を意味しますので、蝶が夢に出てきたら大事な変身の時期であることを認識し、華麗に変身を遂げるよう心がけて下さい。 また、蝶は異性を意味し、自由と愛情の象徴でもあり、あなたの恋愛運を暗示することもあります。
蝶の夢の夢占い - 夢の夢占いより)

夢占いにおいては蝶を「変身」の象徴と捉える見方があるようだ。確かに幼虫→蛹→成虫へと段階を経て大きく姿を変える生き物であるという点で、そのようなイメージが仮託されるのも納得がいく。

ではこの「変身」の象徴としての蝶が「吐き出されている」ことにはどのような文脈を読み取るのがよいだろうか。

  • 一松自身の「変身」を示唆する言葉が一松の口から語られる
  • 一松以外の「変身」を示唆する言葉が一松の口から語られる
  • 「変身」の機会を奪う言葉が一松の口から語られる

パッと思いついたものを箇条書きで列挙してみた。体内から体外へと「変身」の象徴である蝶が飛び立っていることから「変身の機会を奪う言葉」という可能性も考えた。個人的な願望について語るなら、吐き出される言葉は一松自身のためのものであってほしいのだが、それはあくまで私の望みにすぎない。今後の展開を見守ることしかできないのがとてももどかしい。

それから、さらに「蝶」から想像したことがある。中国の故事成語である「胡蝶の夢」という言葉だ。

荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ。
デジタル大辞泉より引用)

 ここから

  • 自分と、あるものとの区別がつかなくなる
  • 現実と夢とを区別できなくなる

という意味が蝶に仮託されている可能性が導ける。その場合、一松自身にそういうことが起こるという可能性以外に、一松の発言によって別の人物がそのような状態に陥るという可能性も考えられる。

一松の発言によってもっとも「揺さぶられる」可能性がある人物は(これまでも述べてきたように)一松との類似性がたびたび指摘できる松野カラ松である。つまり、一松の発言によって、カラ松が「一松と自分とを区別できなくなる」という展開が示唆されているのではないかと考えることができる。

実は、これは5話Aパート「カラ松事変」とBパート「エスパーニャンコ」で描かれた二人の関係を反転させる内容になっている。5話では、全体を通して「粗雑に扱われる松野カラ松」と「(本音が知られたことにより、カラ松を除く4人の兄弟からの)愛を与えられる松野一松」の対照的な姿を描いている。その結果、松野カラ松は「(俺の)扱いが(一松とは)全然違う」と叫ぶ。5話は松野カラ松が「一松と俺の扱われ方は全然違う」つまりは「一松と自分は区別されている」ことにひとまず気付くという物語なのだ。

カラ松のそうした「気付き」を反転させる(ことによってカラ松を揺さぶる)内容が一松の口から語られる、という意味を持つのが口から吐き出される蝶なのではないか。13話ではトド松が「エスパーニャンコ」の話題をカラ松のいる前で出すが、カラ松は首を傾げつつもそのことについて他の兄弟に尋ねることはまったくしなかった。これは別の記事で指摘した「カラ松は大した抵抗をすることもなく何事も受け止めてしまう側面を持った(あるいはそういう役割を与えられた)キャラクター」という特性に従ったものだと私はみているのだが、だとすればなおのこと、「気付き」の反転には一松本人がこの話題を口にするぐらいの大きな関係性の変化が生じる必要があるだろうと考える。先に述べていたことと関連付けて述べるなら、そう、「変身」である。これが一松の口から飛び立つ蝶に託された意味なのではないか。

一松とカラ松の関係性については今後も考察を続けていくが、13話の「じょし松さん」により「6つ子でない(他人の状態)では会話ができる」ことを読み取ることができた。つまりこの二人の関係性について語る際には「兄弟関係」という要素に重点をおいた考察を展開する必要性があることが指摘できる。

 

また余談だが、前クールOPでは全員が体を内側を向けていたのに対し、今クールOPではおそ松・十四松・トド松が左に、カラ松・チョロ松・一松が右に体を向けているのが少し気になった。今後の展開にこの組み合わせが関わる可能性もあるので、着目しながら視聴してみたいと思う。

 

【過去に執筆した「おそ松さん」関連記事】

松野一松の口からハト、松野カラ松の耳から魚が出ていく描写について【おそ松さんOP映像】

松野十四松の特異性が松野カラ松と松野一松の関係性を紐解く可能性について

松野カラ松はなぜバスローブを女性のように着ていたか松野チョロ松の扮装と結びつけて考える 

松野家の6つ子のファッションアイテムからみるそれぞれのキャラクター① 

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「銀河鉄道の夜」と比較しながら「十四松の恋」をみる 

なぜ松野カラ松は松野一松との会話を避けるのか

 

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私とはまったく関わりのない方への誹謗中傷が行われた件につきまして

タイトルの件につきまして、報告と注意喚起をさせていただきます。

当ブログのコメント欄の方に、立て続けにPixivのアカウントについて言及したご意見が寄せられました。
私はPixivでの投稿活動は一切行っておりませんでしたので、この書き込みを目にして初めて私と勘違いされているアカウントの方に事実無根の誹謗中傷が行われていることを知りました。

Pixivでキャプション検索を行ったところ、私のものと勘違いをされているまったく別の方のアカウントを見つけることができましたので、こちらの方から問題が飛び火してしまった件についてのお詫びと、ブログの方で経緯の説明と注意喚起を行いたいという旨を(Pixivのアカウントを新規に取得し)連絡をさせていただき、掲載の許可を頂きました。

以下より経緯の説明をさせていただきます。なお、被害に遭われた当事者の方のお名前は伏せ、以下A様と記載いたします。

A様によりますと、Pixivに掲載していた作品に対して、まったく身に覚えのない非難のコメントが昨年12月31日に寄せられたとのことです。そのコメントの内容は私のブログのコメントに掲載されているものと同じ内容であるといいます。

A様は謂れのない誹謗中傷に困惑しながらも当該コメントを削除し、当初は作品の一部のみ非公開にするという対応をされたそうです。しかしながら今度は別の作品のタグやコメントが荒らされてしまったため、現在(1月4日23時)は経緯の説明を掲載している作品1点を除き、残りはすべて非公開にされている状態です。A様も、人違いであるという旨をすでに作品のキャプションにて説明されていますが、まったく納得してもらえず、現在もコメントが来ている状況であるということです。

Ask.fmに以前寄せられた質問に対する回答で示したとおり、私は人に見せられるようなレベルのイラストを描けるだけの能力は有していません(Twitterプロフィール画像は、プロフィール欄に説明を入れている通りフォロワー様からの頂き物であり、私の創作物ではありません)。つまりPixivでのイラスト投稿活動などは一切行っておりません。それどころか今回新規にアカウントを取得してA様に連絡を差し上げるまでPixivのアカウントさえ取得しておりませんでした。それにも関わらず、私とはまったく関係のないA様が私であると間違われる形で誹謗中傷の被害に遭われるという事態にまで至ってしまいました。

私が現在使用しているSNSのアカウントはTwitterの鍵アカウント、新規に広報用として取得しましたこちらのアカウント、それからAsk.fmのアカウントのみです。Pixivやニコニコ動画で投稿活動を行っているようなアカウントは存在しません。

以上の点をご理解いただき、今後はこの件についてA様を追及するコメントは行わないようにお願いします。また、A様以外のアカウントについても同様のお願いをさせていただきます。先に掲載した私のアカウント以外のアカウントの管理者を私と同一人物であると勝手にみなして誹謗中傷を浴びせるといった攻撃行為について今後この一切を行わないようにしてください。

まったく関係のなかったA様にまで問題を飛び火させ、多大なご迷惑をおかけしたことについて、この場でもお詫びをさせていただき、結びとさせていただきます。

 

yurico15(ゆりこ)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

いきなりですが読者の方にお知らせです。ちょっと卒業論文の方でばたばたしていますので、1月中は更新ペースをかなり落とすことになりそうです。

「おそ松さん」が旬真っ盛りのジャンルであるうちに書いておきたいこともたくさんあるのですが、その一方ではDVDを買ってじっくり鑑賞しながら書く方が自分の執筆ペースには合っているなあという思いもあります。

今までいろいろな作品を見て、読んで、書いて楽しんできましたが、「おそ松さん」という作品への熱の注ぎ方はこれまでのものと比較しても尋常でないので、当分はこれを取り扱う内容をブログに書き残していくことになると思います。蝗が飛び立ったあとも私はここに松を植え続けます。そのつもりでお付き合いいただけますと幸いです。

なお、新年からこういう要素が追加されているのでご確認ください。

欲しいものリストを作成しました

Amazonの欲しいものリスト作りました。興味のあるものを順次リストに追加していこうと考えています。昨年ブログを開設し、それを機にAsk.fmで質問を受け付けていましたところ、私が関心を持っているものについて知りたいという内容のものがいくつも届きました。ブログの内容だけでなく、それを書いている私にまで興味を持っていただけることは本当にうれしいことです。しかしながら、ブログだけでそのすべてについて触れるのは難しいので、こういう形で興味を持つものを公開するのも手かなと考えまして、とりあえず作ってみました。リストに掲載しているものを買っていただけますとなおうれしいです。レビュー記事書きます。

ちなみに誕生日は10月15日です。よろしくお願いします。

誰でもブログにコメントが書き込めるようにしました

個人への誹謗中傷等が含まれるコメントが寄せられていたことを理由に、しばらくの間ブログ記事にはコメントができないように設定を変更していました。これを再度設定し直し、ブログにコメントが書き込めるようにしました。

また、以前ははてなIDを取得しているユーザーのみが書き込みをできる状態にしていましたが、今後ははてなIDを取得していない読者の方もブログにコメントを書き込めるようになります。

興味をもっていただけた記事に、あなたのご意見・感想などをお気軽にお寄せください。

 

そんなわけで今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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